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人生に役立つ孔子の名言 [名言]

こんにちは、神谷です。

今回は儒家の始祖、孔子の名言を紹介したいと思います。


・誰でも過ちを犯すが、それに気づきながらも改めようとしないことこそ、
 本当の過ちであるということ。

・三人の行動を観察していれば、自分が模範とするものを見いだせよう

・学問により、視野も広がり、柔軟となって、頑固さがなくなる

・何事もまずは最初から

・何事も楽しんでやれば、思わぬ力が発揮されるものである。

・周りの人間と上手くやっていくけれども、流されることはない

・正しい行為と知りながら行動しないのは、勇気に欠けている証拠である

・二度と帰らぬものは過ぎ去った歳月である。
 二度と会うことができないのは死んでしまった親である。

・偉大な人間は道を選ぶとき、目先の利益などには目もくれないものである。

・宝石は磨かなければ光らない。 人は試練が無ければ完成しない。

・人間は逆境において人間の真価を試される。
 人生の達人は逆境を楽しみ、順境もまた楽しむのです。

・言葉巧みで、表情を取り繕っているものに、誠実な人間はほとんどいない


役に立ちそうなものはありましたか?
新しことの発見には、古いことを知ることも大事です。
何かに悩んだり、行き詰まったりした時は昔を振り返って考えてみると良いかもしれません。


以上です
お読みいただきありがとうございました。


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多くのユダヤ人を救った杉原千畝は外交官失格?

こんいちは、神谷です。

今回は6000人ものユダヤ人を救った杉原千畝です。

杉原千畝は第2次世界大戦が始まる前の1939年にリトアニアに外交官として赴任しました。

赴任するとすぐにドイツがポーランドに侵攻しました。
そこでイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発しました。
その後すぐにソ連もポーランドに侵入し、ドイツとソ連でポーランドを分割統治しました。

このような時代背景もあり、リトアニアの日本領事館にポーランドなどから逃れてきたユダヤ人の難民が押し寄せてきました。

ユダヤ人達は日本を経由し他国に脱出するためビザの発給を求めていました。

杉原千畝は外務省に掛け合いますが、ドイツとの友好関係もあり、
ビザ発給の許可はおりませんでした。

しかし、日々増えるユダヤ人難民に、杉原千畝は悩みました。
外交官の立場や家族の身も危険に晒されるかもしれなかったからです。

杉原千畝はユダヤ人を救うため命のビザの発給を独断で決断しました。

それから毎日発給し、リトアニアから退去する寸前まで続けました。
結果6000人のユダヤ人の命を救いました。

杉原千畝のこの行動は今でも世界中で賞賛されています。

杉原千畝は、外交官としては間違った行為だったかも知れないが、何千にもの人々を見殺しにはできなかった。たいしたことをしたわけではない、当然のことをしただけと語っています。

私は、自らの危険を顧みず当然のように人々の命のために勇気ある行動をした杉原千畝を同じ日本人として誇りに思います。

以上です
お読みいただきありがとうございました。


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西郷隆盛など幕末志士も愛した男ナポレオンのアルプス越え作戦 [世界史]

こんにちは、神谷です。

今回はフランスの英雄ナポレオンです。

ナポレオンで思い浮かぶことは、めっちゃ早そうな白馬に跨っているナポレオンの絵でした。

ですので、この絵について調べてみると、ナポレオンがイタリアを獲得しようと、普通では考えられないようなアルプスを越えて奇襲をする作戦の道中の絵でした。

実際にナポレオンが乗っていたのは馬ではなく山に強いロバだったのだそうですが、
アルプス越えは想像以上に厳しく、兵士たちの士気は下がっていました。
そこでナポレオンは兵士たちを鼓舞するため「不可能という言葉は愚か者の辞書に存在する言葉だ」と言ったそうです。

そしてみごとアルプスを越え奇襲作戦は成功し勝利を収めました。


この言葉は人生においても大切なことで、どんな困難な山でも不可能と言い訳せずにできると思い込んで取り組めば必ず乗り越えれることを教えてくれています。

不可能を可能にしフランス皇帝にまでなったナポレオンを西郷隆盛や他の幕末志士が愛することは当然かも知れません。

以上です
お読みいただきありがとうございました。


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2016-03-10

みなさんこんにちは神谷です。


記念すべき一回目は日本人なら誰でも知っている
歴史上の人物から学びたいと思います。

激動の幕末を駆け抜けた志士で最も有名なのは…

そう坂本龍馬ですよね!!

坂本龍馬はとにかくモテ男です。
江戸にも京都にも長崎にまでも龍馬を慕う女性がいました。
大変羨ましいです。

そんな龍馬がなぜ、日本を新時代に導くことができたのか?


龍馬が成し遂げたことを振り返って、紐解いていきましょう。
当時の龍馬は徳川幕府の古い体制を覆し、新しい時代を切り開こうとしていました。
幕府を打倒するには、薩摩藩と長州藩が力を合わせる必要がありました。
しかしこの2つの藩は、犬猿の仲でお互い殺し合いもしています。
ではどうやって手を組ませるか?


龍馬はまず相手が欲しいものは何かを考えました。
長州藩は幕府を倒すための武器を欲しがっていましたが、
しかし幕府は諸外国に長州藩への武器の取引を禁止していたため調達が困難になっていました。

一方で薩摩藩は米が不作で兵糧米の調達に苦労していました。

この状況を見た龍馬は外国から武器を薩摩藩名義で買い、それを長州藩に売り、
見返りに長州藩は兵糧米を薩摩藩に届けるということを思いつきました。

つまりお互いに利益になる取引の仲介をして、仲を取り持つことを考えたのです。
しかもその仲介役に自分の会社である亀山社中を使ったので自分の利益まであげちゃってます笑

この方法によって薩摩藩と長州藩は同盟を組むことになりました。
そしてみごとに幕府自らが政権を朝廷に返す、つまり大政奉還を成し遂げました。



龍馬は誰よりも日本の未来を思い行動し、様々な立場の人の思いを聞き、
みんなが幸せになることを考えていました。

志を高く持っている人を応援したくならない人はいませんよね?

だから龍馬は当時も今も多くの人に愛されているのでしょう。

みなさんも龍馬のように志を高く持って多くの人の幸せのために行動して、
誰からも愛される人になりましょう!

以上です。
お読みいただきありがとうございました。










ブログ始めました

こんにちは!!

大学三年生の神谷です。

今年から就活も始まるということもあり人生についてもっと考えないといけないなと思い、人生の大先輩である歴史の人物の生き方やエピソードなどを元に、学んでその情報をみなさんにも発信して、何か感じてもらえるものがあればいいなと思いブログを始めました。

できるだけ更新していくのでどうぞよろしくお願いします!!



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