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多くのユダヤ人を救った杉原千畝は外交官失格?
こんいちは、神谷です。
今回は6000人ものユダヤ人を救った杉原千畝です。
杉原千畝は第2次世界大戦が始まる前の1939年にリトアニアに外交官として赴任しました。
赴任するとすぐにドイツがポーランドに侵攻しました。
そこでイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発しました。
その後すぐにソ連もポーランドに侵入し、ドイツとソ連でポーランドを分割統治しました。
このような時代背景もあり、リトアニアの日本領事館にポーランドなどから逃れてきたユダヤ人の難民が押し寄せてきました。
ユダヤ人達は日本を経由し他国に脱出するためビザの発給を求めていました。
杉原千畝は外務省に掛け合いますが、ドイツとの友好関係もあり、
ビザ発給の許可はおりませんでした。
しかし、日々増えるユダヤ人難民に、杉原千畝は悩みました。
外交官の立場や家族の身も危険に晒されるかもしれなかったからです。
杉原千畝はユダヤ人を救うため命のビザの発給を独断で決断しました。
それから毎日発給し、リトアニアから退去する寸前まで続けました。
結果6000人のユダヤ人の命を救いました。
杉原千畝のこの行動は今でも世界中で賞賛されています。
杉原千畝は、外交官としては間違った行為だったかも知れないが、何千にもの人々を見殺しにはできなかった。たいしたことをしたわけではない、当然のことをしただけと語っています。
私は、自らの危険を顧みず当然のように人々の命のために勇気ある行動をした杉原千畝を同じ日本人として誇りに思います。
以上です
お読みいただきありがとうございました。
今回は6000人ものユダヤ人を救った杉原千畝です。
杉原千畝は第2次世界大戦が始まる前の1939年にリトアニアに外交官として赴任しました。
赴任するとすぐにドイツがポーランドに侵攻しました。
そこでイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、第2次世界大戦が勃発しました。
その後すぐにソ連もポーランドに侵入し、ドイツとソ連でポーランドを分割統治しました。
このような時代背景もあり、リトアニアの日本領事館にポーランドなどから逃れてきたユダヤ人の難民が押し寄せてきました。
ユダヤ人達は日本を経由し他国に脱出するためビザの発給を求めていました。
杉原千畝は外務省に掛け合いますが、ドイツとの友好関係もあり、
ビザ発給の許可はおりませんでした。
しかし、日々増えるユダヤ人難民に、杉原千畝は悩みました。
外交官の立場や家族の身も危険に晒されるかもしれなかったからです。
杉原千畝はユダヤ人を救うため命のビザの発給を独断で決断しました。
それから毎日発給し、リトアニアから退去する寸前まで続けました。
結果6000人のユダヤ人の命を救いました。
杉原千畝のこの行動は今でも世界中で賞賛されています。
杉原千畝は、外交官としては間違った行為だったかも知れないが、何千にもの人々を見殺しにはできなかった。たいしたことをしたわけではない、当然のことをしただけと語っています。
私は、自らの危険を顧みず当然のように人々の命のために勇気ある行動をした杉原千畝を同じ日本人として誇りに思います。
以上です
お読みいただきありがとうございました。
価格:583円 |
2016-03-13 00:34
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